デ・トマソ・パンテーラ 【1970〜1994】

イタリアとアメリカがタッグを組んだ量産MRスポーツ

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デ・トマソとフォードの果敢なる挑戦

 1960年代後半の自動車市場は、それまである程度のドライビングスキルを要したレーシングカー直結のスポーツカーが、よりイージードライブで、快適性に富み、しかも見栄えのする高性能GT、すなわちスーパーカーへと変貌を遂げた時代だった。核となったのはイタリアの自動車メーカーで、フェラーリは275GTB/4(1966年デビュー)や365GTB/4(1968年デビュー)、ランボルギーニは400GT(1966年デビュー)やミウラ(1966年デビュー)を、マセラティはミストラル(1963年デビュー)やギブリ(1966年デビュー)をリリースし、自社の高性能ぶりをアピールしていた。

 このカテゴリーで1967年からマングスタを販売していた新進メーカーのデ・トマソは、他社とは異なる新たなやり方で次世代のスーパースポーツを開発する方策を打ち出す。創業者のアレハンドロ・デ・マソが個人的に親しかったフォード副社長のリー・アイアコッカとタッグを組み、スーパースポーツの新プロジェクトを立ち上げたのだ。当時のアイアコッカは自社のレーシングスポーツGT40の路線を踏襲する市販スーパースポーツの製作を模索しており、これにデ・トマソが参画する形であった。

伊米の得意分野を結集した量産スーパースポーツの開発

 デ・トマソとフォードの協業は、両社の得意分野を活かす戦略で進められた。シャシーや車両デザイン、トータルプロデュースなどはスーパースポーツの開発に長けたデ・トマソが、莫大な開発費用を要するエンジンの供給や最大市場の米国での販売網などはフォードが担うこととしたのである。

 シャシーに関しては、ダラーラ社が基本設計を手がけた専用品を採用する。ホイールベースは2515mmに設定。サスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン/コイルスプリングとスタビライザーで構成した。組み合わせるボディは量産性に優れるオールスチール製モノコックを導入し、基本デザインはデ・トマソの傘下にあったカロッツェリア・ギアのトム・ジャーダが担当する。エッジを利かせたシャープで流麗なクーペフォルムにリトラクタブルライトを組み込んだ低いノーズ、フラットなエンジンフードと奥まった位置に設置した横長のリアウィンドウなど、随所でエキゾチックな雰囲気を醸し出した。

 インテリアは、機能性を重視しながら各部でスーパースポーツらしいアレンジを採用。スライド機構付きのバケットシートやセンター部に縦配列した補助メーター(電流/燃料/水温/油圧計)、ゲートで仕切ったシフトなどで個性を主張した。また、前後フードの下にはラゲッジスペースを用意。前にはバッテリー、後ろにはスペアタイヤや工具などを設置した。

パワフル&タフなフォード製V8を搭載

 ミッドシップ搭載されるエンジンはフォードから供給を受ける351CID4V、通称“クリーブランド”。ボア101.65×ストローク88.9mm/排気量5763ccに設定した90度のバンク角をもつ水冷V型8気筒OHVユニットは、燃料供給装置にオートライト製4バレルキャブレターを組み込み、10.5の圧縮比から310hp/5400rpmの最高出力と52.5kg・m/3500rpmの最大トルクを発生する。

 トランスミッションにはZF製のオールシンクロ5速マニュアルギアボックスをセット。ギア比は1速2.23/2速1.47/3速1.04/4速0.846/5速0.705/最終減速4.22に設定し、リミテッドスリップデフも装備した。操舵機構にはラック・アンド・ピニオン式を導入。タイヤは前185/70R15、後215/70R15サイズ、ホイールはカンパニョーロ製の前7J×15、後8J×15サイズで、ブレーキはバキュームサーボ付きデュアルサーキットの4輪ディスクを装備する。車重はエアコン付きで1330kg。ラジエターを前に、エアコンのコンデンサーをリアに配するなどの工夫を凝らした結果、前後重量配分は42:58と、ミッドシップスポーツカーとしてはほぼ理想的なレイアウトを実現した。

 伊米合作の新世代スーパースポーツは、1970年1月に最終プロトタイプが完成し、同年3月にはイタリア語で“豹”を意味する「パンテーラ」の車名を冠して伊国モデナで発表。そして翌4月になって、米国ニューヨーク・オートショーで大々的に公開された。本格的な生産は1970年10月よりスタート。車両価格はスーパースポーツとしては比較的安めの価格(アメリカ市場では9000ドル)に設定し、アメリカ市場ではフォードの高級ブランドであるリンカーン/マーキュリーの販売網からリリースされる。当初の年間生産計画は1971年度に1000台、そして1972年度以降は4000台と、スーパースポーツとしては異例に多い台数を想定した。

 市場に放たれたパンテーラは、1971年度は計画台数に達したものの、1972年度は2000台レベルにとどまる。しかし、当時のスーパースポーツなかでは十分に健闘している数字といえた。

高性能バージョンとなる「GTS」をリリース

 デ・トマソとフォードはパンテーラの人気をさらに高めようと、車種ラインアップの強化や細部の改良を積極的に実施していく。まず1971年終盤には、リアサスの剛性強化や制動性能のアップ、冷却系および電気系の改良といったリファインを実施。1972年には計器類のデザイン変更や給油口のリアクォーター部への移設などを行い、同時に、ラグジュアリーモデルの「パンテーラL(Lはイタリア語で豪華を意味するLussoの頭文字)」をラインアップに加えた。パンテーラLは扱いやすさを向上させるためにエンジンの圧縮比を8.6にまで下げ、最高出力を266hpとする。また、米国仕様では安全対策のために大型の衝撃吸収バンパーやシートベルト警告ランプなどを装備した。

 1973年になると、後にパンテーラ・シリーズの重要なアイコンとなるハイパフォーマンスモデルの「パンテーラGTS」が市場デビューを果たす。エクステリアでは前後フードやボディ下回りをマットブラックで仕立て、ツートンのボディカラーを形成したことが特徴。搭載エンジンはアメリカ向けが従来仕様のままで、欧州向けにはホーリー製キャブレターを組み込んだ高圧縮比仕様(350hp)を設定する。同時に、5速MTのギアレシオの見直しも図った。また、オプションとして前8J×15/後10J×15サイズのホイールとロープロファイルタイヤを装着したオーバーフェンダーモデルを用意する。

 デ・トマソは、GTSをベースとしたグループ3仕様のレーシングモデル、「パンテーラGr.3(GRUPPO3)」も製作した。しかし、1973年にはパンテーラに強い逆風が吹く。10月に勃発した第4次中東戦争に起因するオイルショックだ。原油供給の大幅減と価格の暴騰に対し、燃費の悪いスーパースポーツは軒並み販売台数を落とす。パンテーラに至っては、1974年度の生産台数が572台にまで激減した。結果的にフォードはパンテーラの販売中止を決定。これを受けてデ・トマソは、独自に生産と販売を企画することとなった。

国際レースにも参戦したパンテーラ

 一方、デ・トマソはグループ4カテゴリーでのスポーツカーレースへの参戦も計画する。ベース車両はもちろんパンテーラGTSで、シャシーやサスペンション、ブレーキなどの機構を徹底して強化。前後フードとドアには軽量化を狙ってアルミ材を使用し、エンジンの最高出力は500hpにまで引き上げた。さらに、足回りには前10J×15/後13J×15サイズの幅広ホイールとロープロファイルタイヤを組み込み、それをカバーするためにFRP製のオーバーフェンダーをリベット留めする。モンスターマシンに進化した「パンテーラGr.4」は、ル・マン24時間レースのほか数レースに参戦。目立った成績は残せなかったものの、デ・トマソの健在ぶりはアピールできた。また、Gr.4をロードゴーイングカーに仕立てた「パンテーラGT4」も製造した。

 1975年にはデ・トマソ本体の企業規模が拡大する。イタリアの老舗メーカーであるマセラティの大半の株式を、1973年からデ・トマソの傘下に入っていたベネリが買収したのだ。マセラティのマネージングディレクターにはアレハンドロ・デ・マソが就任する。さらに、デ・トマソは翌1976年になるとイノチェンティも傘下に収めた。

 意欲的にグループを拡大していったデ・トマソ。一方で主力車種のパンテーラは、1980年に新たなモデルを追加する。FRP製のワイドなオーバーフェンダーにフロントスポイラー、大型のリアスポイラーといった専用エアロパーツで武装した「パンテーラGT5」が登場したのだ。エンジンは扱いやすさを重視して330hpへとディチューン。インテリアには専用デザインのメーター類などを装備していた。さらに1984年になると、GT5の実質的なマイナーチェンジ版となる「パンテーラGT5S」がデビューする。前後フェンダーはスチール製のブリスター形状に変更。フロントスポイラーの造形はボディ本体とより一体化し、リアスポイラーのデザインも一新された。ブレーキは前後ともにベンチレーテッドディスクを採用。搭載エンジンは標準の300hp仕様のほか高性能版の350hp仕様を設定し、本体自体はモデル途中で“クリーブランド”からオーストラリア工場産の“ウインザー”に切り替わった。

会社創立30周年に合わせて“Nuova”モデルが登場

 パンテーラの進化は、1990年代に入っても続いた。1990年開催のトリノ・ショーにおいて、デ・トマソ創立30周年を記念した新世代のパンテーラ、「ヌオーバ(Nuova)パンテーラ」を発表したのだ。

 車両デザインを担当したのは、鬼才と謳われるマルチェロ・ガンディーニ。アルミ製に一新したボディ本体にきれいに組み込まれた前後バンパーや流麗なブリスタータイプのフェンダー、2分割式とした大型リアスポイラーなど、随所で新世代スーパースポーツらしい演出を施した。組み合わせるシャシーにも改良が加えられ、スチールチューブによるリアサブフレームなどが導入される。搭載エンジンは量産性の向上を踏まえてマスタング用の302cu.in(4942cc)・V8OHV(欧州向け305hp/米国向け247hp)に換装。懸架機構や制動機構も、着実にブラッシュアップした。NuovaパンテーラはパンテーラSIとも呼ばれ、1994年まで生産される。また、最終期にはタルガトップもわずかながら製造された。

 基本設計の確かさに量産性に優れた構造、そしていつの時代にも魅力的に映るスーパースポーツらしい車両デザインを纏ったデ・トマソ・パンテーラ。その個性と車歴は、スーパーカー史に燦然と輝いている。