カデット 【1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979】

GMの世界戦略車、第4世代のブレッド&バターカー

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GMによるグローバルカー構想の発案

 先進国を中心に世界中でモータリゼーションが進展し、とくに小型車の販売が大きく伸びた1960年代後半の自動車市場。来るべき1970年代には、クルマの需要が世界規模でいっそう拡大する−−そう予想した世界最大の自動車企業グループであるGMは、大規模かつ革新的な小型車戦略を打ち出す。グループで各社でボディやシャシーなど基本プラットフォームを共用するサブコンパクトカテゴリーのグローバルカー構想を発案したのだ。

 名称を“Tカー”としたGMの新グローバルカー構想は、開発の主体を西ドイツ(現ドイツ)の大手自動車メーカーであり、GMグループの欧州拠点(1929年にGMの資本を受け入れ、1931年には完全子会社化)でもあるAdam Opel AG、通称オペル社が担う。GMグループ内で最も高い技術力と対応力を有し、かつカデットを名乗る小型車の成功で実績を持つオペルなら、世界に通じる基本プラットフォームを開発できると、GMの首脳陣は判断したのだ。一方でTカーに搭載するエンジンや内外装の演出については、各国の事情に合わせた仕様とする方針を決定。また、ボディタイプは2ドアの3BOXセダンを基本に、4ドアセダンや2ドアクーペ、ワゴンなど、豊富なバリエーションで展開することとした。

オペル版Tカーを「カデットC」として発売

 オペルのブランドを冠する新世代グローバルカーは、「カデット(カデットC)」の車名で1973年8月に市場デビューを果たす。ボディタイプは2/4ドアセダンと2ドアクーペ、3ドアワゴンのキャラバンを設定した。

 通算で4代目となるカデットCは、基本骨格にTカー・プロジェクトに合わせて開発した新モノコックボディを採用する。ホイールベースは先代のカデットBの2415mmより短い2395mmに設定し、一方で前後トレッドを拡大して運動性能を向上させた。また、前部にクラッシャブルゾーンを設け、燃料タンクをリアシート後方に縦置き配置するなど、安全性の引き上げも図った。スタイリングに関してはカーブドガラスの組み込みによるタンブルフォームの形成やフロントエプロンのスポイラー状化などで空力性能をアップし、同時にウエストラインを低くしてグラスエリアを増大させる。

 サスペンションはフロントに新設計のダブルウィッシュボーン/コイルとトーション式スタビライザーをセット。さらにキャスター角を強めて直進時および制動時の安定性を高めた。リアにはロアトレーリングアームで前後方向を、パナールロッドで左右方向を位置決めしてコイルと別体ダンパーを配した改良版の3リンクを採用する。ステアリング機構には操舵性に優れるラック&ピニオン式を導入し、衝撃吸収構造のコラプシブル機構を内蔵した。

デビュー当初の主力エンジンは1196cc搭載

 搭載エンジンはデビュー当初が1196cc直列4気筒OHVのノーマル版12N(圧縮比7.8。52ps)と高圧縮比版12S(同9.2。60ps)を採用し、後に10N型993cc直列4気筒OHV(40ps)を追加する。組み合わせるトランスミッションはフルシンクロの4速MTが基本で、12Sには後にGM製の3速ATも用意された。駆動レイアウトはオーソドックスなフロントエンジン・リアドライブ(FR)で構成。制動機構は前後ドラム式が標準で、フロントディスクブレーキはオプション(12Sは標準)で設定した。

 キャビン空間は従来のカデットBと比べてレッグルームとショルダールームとも拡大し、同時にトランクルームも増量してクラストップレベルの実用性を確保する。インパネは視認性と使い勝手を考慮してモダンかつシンプルなデザインで構成。縦溝を刻んだフルフォームタイプのシートはサポート性や座り心地に重きを置いて設計され、前2席にはヘッドレストも設定した。

 新しい開発コンセプトに沿って華々しく登場したカデットCだったが、インフレによる生産コストの増加やマルク(当時の西ドイツの通貨)の切り上げなどに起因した車両価格の上昇、さらには1973年10月に発生したオイルショックにより、デビュー当初は販売に苦戦する。しかし、長年培ってきた信頼性のあるクルマ造りに強力な販売網、そして何よりカデットC自体のポテンシャルの高さによって逆風を乗り越え、1974年終盤にはボッホム工場の生産ラインがフル稼働の状態となった。

魅力的なハイパフォーマンス仕様「GT/E」をリリース

 カデットの販売をさらに高めようと、オペルのスタッフは精力的に車種ラインアップの拡大やメカニズムの改良を図っていく。1975年には、魅力的な2車種が追加された。1台は3ドアハッチバックのシティ。セダンに対してボディ後端を切り詰めながら上ヒンジ式のハッチゲートを組み込み、シンプルかつ軽快な2BOXフォルムに仕立てていた。
 もう1台は高性能バージョンのGT/Eだ。ボディタイプは2ドアクーペで、搭載エンジンにはレコルトやマンタにも採用するCIH(Camshaft In Head)ヘッドのLジェトロニック付き19E型1897cc直列4気筒OHC(105ps)をセット。トランスミッションには4速MT(標準)または5速MT(オプション)を組み込む。

 足回りには強化タイプのサスペンションと175/70HR13サイズのタイヤを、制動機構にはフロントディスクブレーキを、操舵機構にはブッシュを固めに設定したラック&ピニオンを採用した。内外装の差異化も図り、エクステリアではブラック&イエローの専用ボディカラーやスタイリッシュなホイールなどを、ブラック基調で仕立てたインテリアにはスポーツシートや補助メーターなどを装備する。公表された性能は最高速度が180km/h、0→100km/h加速が10.2秒とクラストップレベルだった。

 1976年にはスペシャルティ感を強調したオープン仕様がラインアップに加わる。コーチビルダーのバウアーが製造を手がけるエアロ(Aero)だ。ルーフとリアウィンドウ周囲を脱着可能とし、リアピラーがロールバー風に残るタルガトップタイプのスタイリングは、シンプルで清楚なイメージが特長だったカデットのルックスに新たな魅力をもたらした。

 1977年になるとフェイスリフトが行われ、グリルデザインの変更や前ウィンカーの移設などを実施する。また、搭載エンジンには16S型1584cc直列4気筒OHCユニット(75ps)を新たに追加。さらに、20EH型1979cc直列4気筒OHCエンジン(115ps)を積み込んで最高速度を190km/hにまで引き上げた進化版のGT/E2をリリースした。翌1978年モデルでは再びフェイストリフトが行われ、新デザインの大型ヘッドライトやウィンカーなどを装備。また、新グレードとしてスポーツバージョンのラリーをラインアップし、搭載エンジンには20E型1979cc直列4気筒OHCエンジン(110ps)と16S型の2機種を設定した。

GT/Eはラリーのベースマシンとして大活躍

 オペルはカデットCの車種設定を拡充する一方、スポーツセクションにおいて高性能モデルのGT/Eをベースとしたラリーマシンを鋭意製作する。これを使って、セミワークスのオペル・ユーロディーラーチームやプライベーターたちが世界ラリー選手権(WRC)などにこぞって参戦した。

 マシンのカテゴリーとしては4バルブDOHCヘッドを採用したグループ4仕様を筆頭に、DOHCヘッドのグループ2仕様、吸排気のセッティングを見直したグループ1仕様を設定する。最強マシンであるグループ4のWRC参戦は1975年開催のサンレモ・ラリーから。1976年シーズンではプライベーターたちの活躍もあり、ランチアに続くマニュファクチャラーズランキング2位を獲得する。また、1977年開催のスウェディッシュ・ラリーと1978年開催のツールド・フランスでは同車として最高位となる2位に入賞。1978年シーズンのマニュファクチャラーズランキングでは、フィアットとフォードに続く3位に入った。

 ランチア・ストラトスHFやフォード・エスコートRS、フィアット131アバルトといったパワーに勝る強敵を相手にグループ4仕様のカデットGT/Eは苦戦したものの、それでもマニュファクチャラーズで好成績を残せたのは、プライベーターたちのグループ1マシンが健闘したからだった。つまり、改造範囲が小さいカテゴリー=ベース車の実力が優劣を決定する部門では、カデットGT/Eのポテンシャルの高さが存分に発揮されたのである。

FR方式を採用する最後のカデットに−−

 豊富なバリエーションや信頼性の高いクルマ造りで好評を博したカデットC。しかし、1970年代終盤になると販売台数が徐々に落ち込み始める。パッケージ効率に優れるフロントエンジン・フロントドライブ(FF)方式のライバル車、具体的にはフォルクスワーゲン・ゴルフなどが人気を集めるようになったからだ。

 欧州市場とくに西ドイツ市場におけるシェア低下の長期化を懸念したGMおよびオペルは、カデット独自の全面改良を画策する。そして、1979年8月には2BOXボディをメインモデルとするFF方式の新しいカデット(カデットD)に移行した。結果的にカデットCは、FR方式を採用する最後のカデット、そしてGMのグローバルカー構想を成功に導いた記念車として、オペル史に名を刻むこととなったのである。

Tカー戦略は西ドイツのほか、ブラジルや英米、日本で展開

 GMのグローバルカーとして開発された“Tカー”は、1973年4月にまずブラジルで市場デビューを果たす。車名は「シボレー・シェベット」を名乗り、1398cc直列4気筒OHCユニットなど独自のエンジンを採用していた。4カ月ほどが経過した8月になると、欧州向けの「オペル・カデット(カデットC)」が登場。1974年10月には日本で「いすゞ・ベレットジェミニ(後にジェミニの単独ネームに変更)」が発表された。

 翌1975年にはオーストラリアでいすゞ・ジェミニの輸出仕様となる「GMホールデン・ジェミニ」、英国で「ヴォクスホール・シェベット」がデビュー。1976年になるとアメリカで「シボレー・シェベット」、カナダで「シボレー・シェベット」がリリースされた。ほかにも、アメリカで「ポンティアックT1000」、カナダで「ポンティアック・アカディアン」、アルゼンチンで「オペルK-180」、コロンビアやエクアドルで「シボレー・サンレモ」、ニュージーランドで「ヴォクスホール・シェベット」といったTカーが市場に送り出される。ちなみに、いすゞ・ジェミニは米国に輸出された際、「Opel-Isuzu」の名でも販売された。