公開済み: 2021年1月25日更新: 2021年1月25日記事カテゴリー: 歴史館 日産 1980年代1990年代 パルサーX1ツインカム 【1986,1987,1988,1989,1990】 新世代スポーツ心臓を積んだ俊足ハッチ! 記 事 諸 元 ギャラリー 会員登録(無料)でより詳しい情報をご覧いただけます →コチラ 続きを読むにはログインして下さい。 Tweet Tweet 記 事 諸 元 ギャラリー 123
日産オースチン 1950年代1960年代 A50ケンブリッジサルーン 乗用車作りを学んだ日産の記念碑 日産が“技術の日産”として発展し 世界をリードするクルマを作り出した裏には よき師の存在があった。英国のオースチンである。 先進の乗用車作りを学ぶため日産は1952年に英国オースチンと提携。 主力モデルだったA40サマーセットサルーンのノックダウンを開始する。 1955年、A50ケンブリッジサルーンに生産車をスイッチしてからは 国産化が進み、1956年8月には完全な国産化を達成した。 日産がオースチンで培った技術はブルーバードやセドリックに発展し、 日本のモーターリーゼーションの牽引者の地位を明確にする。 公開済み: 2021年10月27日更新: 2021年10月27日記事カテゴリー: 歴史館
日産 1970年代 スカイラインHT2000GT-R わずか4カ月で生産を終了した孤高のケンメリR “日本の風土が生んだ傑作車”と謳われる 高性能スポーティモデルのスカイラインは、 1972年9月になると全面改良が実施され、 第4世代となるC110型系に切り替わる。 4カ月後の1973年1月にはS20型エンジンを 搭載する「ハードトップ2000GT-R」が登場。 排出ガス規制などに翻弄されてわずか197台を 生産しただけで表舞台から去ったが、その存在は スカイライン史の大いなる“伝承物”となった。 公開済み: 2021年9月20日更新: 2021年9月20日記事カテゴリー: 歴史館