ランサー・フィオーレ 【1982,1983】

ランサーの名を冠したミラージュ兄弟車



ギャラン店系列のテコ入れ策

 三菱自動車は、日本の自動車メーカーの中でいち早く外資の導入(米国クライスラー社との資本提携)を実施。厳しい排出ガス規制やオイルショックに苦しむ国内自動車メーカー群のなかにあって、開発に当てる資金は比較的多めにあった。そのため、排気対策技術の研究と並行して主力車種のフルモデルチェンジを相次いで実施。さらに1978年には、若者層にターゲットを据えた新規販売網の「カープラザ店」を立ち上げる。
 従来のギャラン店系列と新規のカープラザ店系列の2チャンネル販売体制の確立--ここで課題となったのが、各販売網に向けた車種ラインアップの拡充だった。カープラザ店はベーシックモデルのミラージュを皮切りに、ギャランの兄弟車であるエテルナ・シリーズなどの専用車種をリリースし、販売ラインアップの拡大を図っていく。一方、ギャラン店のほうでテーマとされたのがミラージュ・クラスのベーシックモデルの設定だった。そこで三菱のスタッフは、ギャラン店に向けたベーシックモデルの企画立案に着手する。資金をそれほど投入せずに、ベーシックモデルを用意するには……。結果的に開発陣は、ミラージュIIの4ドアサルーンをそのまま流用し、内外装の一部意匠を変えて新型車に仕立てる決断を下した。

4ドアサルーンの1ボディでデビュー

 ギャラン店に向けた専用車種のベーシックカーは、1982年1月に市場デビューする(販売は翌2月から)。車名はランサー・フィオーレ。既存モデルのランサーに、イタリア語で花を意味するフィオーレのサブネームが付けられていた。
 ランサー・フィオーレのグレード展開は4ドアサルーンの1ボディ、G12B型1410cc直4OHCとG11B型1244cc直4OHCの2エンジン、10グレード構成で展開する。G12B型には2つの仕様を設けたが、そのうちのひとつには日本初となる気筒休止機構(4気筒→2気筒)、通称MDシステムを組み込んだ。内外装は基本的にミラージュIIの4ドアサルーンと同様で、フロントグリルやエンブレム、一部カラーリングなどを専用タイプに変えただけにとどめた。

 ランサー・フィオーレのデビューは、ギャラン店の車種ラインアップに変化をもたらした。それまで量販サルーンとして位置づけられていたランサーEXの存在感が一気に薄れたのである。ランサー・フィオーレは新機軸であるフロントエンジン&フロントドライブ(FF)を採用するのに対し、ランサーEXはオーソドックスなリアドライブ(FR)。ボディサイズはランサーEXが上回るが、キャビンスペースの広さはそれほど変わらなかった。保守的なランサーEXに対して、フィオーレはフレッシュな印象に溢れていた。フィオーレは予想以上の人気を博した。結果的に「ランサー・フィオーレはランサーEXの下に位置するベーシッククラス」という設定は変更を余儀なくされ、ランサー・フィオーレはグレード展開の強化を、ランサーEXはマニアックな人気を獲得していたターボ仕様を除いてカタログから外されていくこととなった。

初代のモデル寿命はわずか1年8カ月

 デビューから7カ月ほどが経過した1982年8月、ランサー・フィオーレに待望のスポーティ仕様、1400GTターボが追加される。その2カ月後には1200Eスペシャルを、さらに2カ月後には1400MDスーパーと1200マリエを設定した。
 グレードの選択肢を増やして、ギャラン店系列の中心モデルとしての地位を確立しようとしたランサー・フィオーレ。しかし、市場デビューから1年8カ月ほどが経過した1983年10月なると、早くもフルモデルチェンジを実施する。シャシーやエンジンを共用化するミラージュが新型に切り替わったため、ランサー・フィオーレも全面改良を余儀なくされたのだ。2代目となった新型は、初代モデル以上にコンパクトサルーンとしてのキャラクターが鮮明になり、やがてギャラン店系列のエントリーセダンに成長していった。