ジープJ30 【1961,1962,1963,1964,1965,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984】

卓越の悪路走破性を持つ4WDワゴン

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第二次世界大戦で大活躍したジープ!

 アメリカ陸軍が最初に実用化したとされる小型4WDは、第二次世界大戦にアメリカが参戦する直前の1940年、アメリカのペンシルバニア州、バトラーにあったアメリカン・バンタム社と言う小さな会社が、アメリカ陸軍の競争試作の呼びかけに応じて試作したプロトタイプが原点である。

 小型4WDは第二次世界大戦中に累計65万台以上も生産され、悪路走破性能の高さと運転のしやすさなどで兵士たちのアイドルとなった。いつしか、兵士たちは小型4WDをJeep(ジープ)と言う愛称で呼ぶようになる。だが、その語源が何なのかは明確には分かっていない。

警察予備隊創設が国産ジープ誕生の契機に

 ジープは、第二次世界大戦の終結後、ヨーロッパ各国や敗戦国となった日本で、戦後復興に欠かせないクルマとして、官民双方で大活躍する。なかでも、GHQ主導で組織された現在の自衛隊のルーツとなる警察予備隊発足の折に注目を浴びる。警察予備隊用兵器の大半はアメリカ軍からの供与で賄われていた。だが、アメリカ軍での正式名「Track,1/4-ton ,4X4,Command Reconnaissance」と呼ばれる小型4WD車は、日本での自動車産業育成を促すという目的から日本製もしくは外国メーカーとの技術提携によるノックダウン生産という手段が採られることになったのだ。

 GHQは警察予備隊向けに小型の4WDの競争試作を日本のメーカーに呼び掛けた。オファーに応じたのは、トヨタ自動車と日産自動車、そして中日本重工業(旧・三菱重工が財閥解体により分割されて生まれた会社で、後の三菱自動車)だった。
 トヨタはトヨタBJ型を、日産は4W60 型と呼ばれる試作車を比較的短期間で完成させて提示した。中日本工業はアメリカのウィリス社と技術提携を結び、同社が生産していたM38A1(Jeep)をそのままノックダウン生産したモデルを提出した。コンペティションでは、中日本重工業製のM38A1型ジープが選ばれ、警察予備隊の制式車両となる。ステアリング位置は左のままだった。

強靱4WDメカをそのまま生産

 三菱製ジープの当初のモデルは、日本名をJ1型と言った。それはアメリカ軍が使っていたM38A1(一般向けはCJ3A)と全く等しいモデルだった。エンジンは水冷直列4気筒、バルブ配置はSV(サイドバルブ)を採用した排気量2199ccユニット。6.4と低い圧縮比から65ps/4000rpmの最高出力を得ていた。圧縮比が低いのは、品質の低い燃料でも十分な性能を発揮させるためであった。

 トランスミッションはフロアシフトの3速、駆動力を前後の車輪に配分するトランスファーギアは高速と低速の2段型で、外部動力取り出し機構を働かせるための中立位置を備えていた。駆動方式は、プリミティブなパートタイム4WDで、ブレーキは4輪ドラム型。タイヤは悪路走行を前提にしたブロックパターン(鬼タイヤなどとも呼ばれる)の6.00-16サイズのバイアスタイヤを装着していた。

三菱の手でバリエーションが大幅拡充

 日本でのノックダウン方式による本格的な生産が始まった1953年に、アメリカ本国のウィリス社はカイザー・フレーザー社に買収され、ジープも新型エンジンを搭載したCJ3B型へ変わった。当然、三菱製も新型のCJ3B型へ移行する。アメリカでCJ3Bと呼ばれたモデルで、日本では単にJ3型とされた。1955年には完全な国産化モデルが完成。エンジンはJH-4型と呼ばれる排気量2199ccの直列4気筒で、バルブ配置は吸入側がOHV、排気側がSVのFヘッドとなっていた。最高出力は76ps/4000rpmと僅かにパワーアップした。ホイールベースは2030mm、ボディサイズは全長が3390mm、全幅1660mm、全高1905mmである。

  完全国産化を達成後、J3型をベースにした三菱独自のバリェーションモデルが現れる。1957年にJH—4型エンジンをディーゼル化したKE31型エンジンが完成、これを搭載した世界初のディーゼルエンジン付きJeepとなるJC3型がデビューする。

 1961年には日本の道路事情に適合するようにステアリング位置を右側としたJ3R型が登場。さらにホイールベースを延長したな4ドア・ステーションワゴン仕様のJ30型もデビューした。
 J30型は1956年12月に登場した2ドアワゴン型J11の大幅改良版。ボディを実用的な4ドアにすると同時に、リモートコントロール方式のコラムシフトを搭載。前後ベンチシートを装着し、最大6名の乗車を可能にする。エンジンは当初76ps仕様のガソリンだけだったが、後に三菱独自設計となる61psのディーゼルが追加された。

 三菱製ジープは、日本独自の発展を続け、バリェーションは世界屈指のワイドな展開となった。4WDシステムを備えることにより販売価格は必然的に高価にならざるを得ず、個人ユーザーではなく公・官庁や警察、新聞社などに好評を以て迎えられた。本格生産の始まった1952年から1964年までに各型併せて5万5000台以上が生産された。