トラック&バスの歴史 03 【1954〜1966】

バス&トラックのパーソナル化の促進

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新たなジャンル、マイクロバスの誕生

 戦後の混乱期を脱し、朝鮮動乱などの外的要因を期に目覚ましい経済発展を遂げるなか、バス&トラックも新たな時代を迎える。バス&トラックのパーソナル化である。バスでいえば従来からの中・大型バスが、より快適&豪華な方向へと発展していくなかで、いままでにないニュージャンルが誕生した。工場や事業所、あるいはホテルや旅館の送迎用として便利な小型サイズのマイクロバスだ。

 トヨタでは1960年に小型トラックのダイナをベースにした「マイクロバスRK95B型」を発表。1963年3月には窓を大きく採った「ライトバス」にモデルチェンジする。さらにトヨペット系ディーラー向けに同じくダイナのシャシーにバスボディを架装した「マイクロバス」も投入した。初代のRK95B型はダイナのイメージを残していたが、モデルチェンジしたライトバス&マイクロバスは、現在のモデルとさほど印象の替わらない完全バスデザインで、室内も広く&実用的に仕立てていた。エンジンは1.9L/80psのガソリンユニットを搭載している。

 日産が送り出した「エコー・マイクロバス」も本格派だった。こちらもやはり小型トラックのキャブオールをベースにしたものだったが、全長5130mm、全幅1850mmのミディアムサイズを持ち、4列シート/17名乗りと5列シート/20名乗りから選べた。4灯式ヘッドランプを持つ乗用車イメージのスタイリングも好評を博した。こちらのエンジンは1.5L/71psのガソリンとトヨタのライトバス&マイクロバスよりも小型だった。

香港でも愛された三菱ローザ

 マイクロバスの分野でトヨタ&日産以上に積極的だったのが三菱である。三菱のマイクロバスである「ローザ」は、ジープ系のパワフルな2.2L/76psガソリンと2.2L/70psディーゼルの2種のエンジンが選べ、全長5390mm、全幅2130mm、全高2395mmのライバルより大柄なボディを生かし6列シート/21名乗りを実現。優れた居住性をアピールした。

 スタイリッシュなフォルムも好評で、インパネには乗用車イメージの横長式スピードメーターやプッシュボタン式スイッチを採用していた。ローザは、路線バス用のロングホイールベース仕様(標準より300mm長い3250mm)である25名乗りのB20D型、29名乗りD21D型が誕生するほどの人気モデルに成長し、香港にも1984年までに1000台を超える車両が輸出された。ロングホイールベース仕様はルーフに行き先表示用スペースが設けられ、全長は6250mmになっていた。ちなみにD21型のパワーユニットはクラス最大・最強の3250cc/92psを積んでいた。

3輪トラックを駆逐したトヨエース

 トラックの分野でもパーソナル化が大きく進んだ。3輪トラック・ユーザーがこぞって4輪小型トラックに乗り替え始めたからだ。この傾向は1954年9月に登場した「初代トヨエース」が先鞭をつけたが、1959年3月のモデルチェンジ、1963年9月の1.5トン積みモデルのラインアップにより一層の弾みをつけた。

 3輪トラックで一般的な2気筒/2ストロークユニットに対し、トヨエースは滑らかでパワフルな4気筒/4ストロークユニットを搭載。走行安定性でも3輪トラックを大幅に上回っていた。車両価格は相応に高価だったが、時代はそれを受容できるほどに成長していた。日本のモータリーゼーションの本格化は、まず小型トラックが牽引したのである。

 日産も伝統ブランドの「ダットサン・トラック」をブルーバード・イメージのスタイリングに仕上げ、フロントサスペンションを独立式にグレードアップすることで居住性と走りをリファイン。定員3名のシングルキャブに加え、定員5名のダブルキャブやバンの設定することで平日は仕事に、休日は自家用に使用するユーザーのニーズに応えた。ダブルキャブ&バンのリアランプは縦型の大型形状で、デザインのモチーフは最上級モデルのセドリックを参考にしていた。

豪華なクラウンの商用車が人気に

 乗用車イメージというと、クラウンの商用車モデル、「マスターライン」も高い人気を集めた。1962年のセダンのモデルチェンジンに対応して低床式X型フレームを採用した2代目モデルは、全高1510mmと従来モデルより95mmも低いローシルエットを実現。ダイヤフラム式クラッチの採用で軽快な操作フィールも獲得した。エンジンはパワフルな1.9L/80psのガソリンで、スタイリングも前半はクラウンそのものだった。

 クラウンの走りと居住性を持つマスターラインは、画期的な存在だった。トラックだけでなく、ダブルキャブやバンなどを設定したワイドバリエーションもユーザーを魅了する。ライバルのセドリックも商業車仕様のバンは設定していたがトラック系は未設定。クラウンのフレーム構造に対し、モノコック構造のセドリックは様々なボディタイプへの対応が難しいという事情もあったが、ユーザーフレンドリーなのは圧倒的にトヨタだった。

 トラックのパーソナル化、4輪化の促進は、3輪トラックの王者的な存在だったマツダやダイハツにも変化を促す。ダイハツは1961年10月の東京モーターショーに小型ライトバンを参考出品。1962年8月にトラックの「ハイラインB100」として発売する。マツダも1958年4月に4輪トラックの「ロンパー」をリリース。小型車の排気量制限が2Lに拡大されたのに対応し、1962年4月にはD2000を投入した。D2000が搭載する新設計のVA型は81ps/15.5kg・mの高出力&高トルクを誇り107km/hのトップスピードを実現。全長6100mmのロングボディ車でもそのパワーは十分だったという。