フェアレディ240Z
スポーツカーの歴史を塗り替えた高性能“Z-CAR”
日産自動車は1969年にクーペボディの精悍フォルムを
まとった新世代スポーツカーの「フェアレディZ」を発売。
米国市場では1970年に「DATSUN 240Z」として発表する。
さらに1971年には輸出専用であったL24型エンジンを搭載する
「フェアレディ240Z」シリーズを日本国内でリリースした。
240Zは最強のパーソナルGTとしてマニアからの熱い支持を獲得。
スポーツカーの歴史を塗り替える。
日産の歴史1 第一期/1933-1959
ジャパン・オリジナルを求めた技術者集団の軌跡
1933年、日本の未来を信じる企業家、
鮎川義介が設立した「日産自動車」は、
日本に最適なジャパン・オリジナルの小型車を目標とした。
1935年ダットサンの量産1号車からはじまるそのこだわりは、
戦後海外メーカーとの技術提携を経て、
初代ブルーバードの成功へと結実する。
ホンダの歴史2 第二期/1965-1975
“チャレンジ精神”と“夢を紡ぐ力”がすべての原点
Sシリーズや軽トラックなどで
四輪車への進出を果たしたホンダ技研は、
1960年代半ばからいよいよ大衆車の開発を始める。
最初に手掛けたのは、軽規格の乗用車だった。
その後も魅力的なモデルを次々と発表。
排ガス規制にはいち早く新技術を投入する――。
ホンダの歴史1 第一期/1946-1964
チャレンジ精神”と“夢を紡ぐ力”がすべての原点
現在の企業スローガンが、ホンダの本質を表している。
クルマや飛行機など、人間の行動半径を広げ、
生活を豊かにする機械に対して、
限りないロマンを抱き続けた
本田宗一郎の情熱の原点が、“夢の力”であり、
それはそのまま、ホンダを形成した。
栄光の第一歩をご紹介しよう。
スプリンター・カリブ
マルチパーパスワゴンの意欲作
1970年代から本格的に浸透し始めた
日本でのアウトドアブームは、
移動手段の核となるクルマの特性にも影響し、
一部のユーザーからは荷物の積載性や
不整地の走破力などが重視されるようになる。
その対応策として、トヨタは新しい多目的車を開発した。










