ホンダの歴史1 第一期/1946-1964
チャレンジ精神”と“夢を紡ぐ力”がすべての原点
現在の企業スローガンが、ホンダの本質を表している。
クルマや飛行機など、人間の行動半径を広げ、
生活を豊かにする機械に対して、
限りないロマンを抱き続けた
本田宗一郎の情熱の原点が、“夢の力”であり、
それはそのまま、ホンダを形成した。
栄光の第一歩をご紹介しよう。
アコード・エアロデッキ
斬新造形の上級ハッチバックモデル
本田技研の中心車種であるアコードは、
1985年6月に3代目に移行する。
ボディタイプは従来型と同様に
セダンとハッチバックを用意したが、
ハッチバック仕様には
「エアロデッキ」というサブネームが
新たにつけられていた。
クイント・インテグラ
インテグラの名を加えた2代目クイント
1980年代は本田技研工業から
スポーツスピリットあふれるモデルが
数多くリリースされた時代だった。
四輪進出時の原点回帰、F1イメージの踏襲──
自動車マスコミは様々な賛辞をおくる。
そんな最中、クイントが2代目に移行した。
アコード ハッチバック
初代のコンセプトを巧みに継承した2代目
1976年にHBボディを纏い登場したアコード。
先進の技術と装備を備えてのデビューとなり、
後に4ドアを加え、世界90カ国で販売される
ワールドカーに成長する。
2代目では、HBとセダンが同時に発売。
新時代の国際車として、さらなる進化を遂げる。
HBモデルは、分割リアシートを採用し、
小型車の新機軸となる。
バラードスポーツCR-X
FFライトウエイトスポーツの登場
1980年代初頭は本田技研にとって、
スポーツ指向が回帰する時期となった。
なかでもFFライトウエイトスポーツという
新ジャンルの市販車のデビューは、
クルマ好きに大きなインパクトを与えた。