プリンス
日産
1960年代
1970年代

ローレルHT

日産初の流麗2ドアスペシャルティ
国民所得の増加や道路網の整備などで 急速に進展する日本のモータリゼーション。 大衆車で満足していたユーザーは、 次第により上級なクルマを求めるようになる。 そんな状況に対応して日産自動車は、 「ハイオーナーカー」に 流麗なハードトップを設定した。
日産
1980年代
1990年代

エクサ

クルマ版“着せ替え人形”
バブル景気の助走期となった80年代中盤、 日本の自動車メーカーは豊富な開発資金をバックに 車種ラインアップの拡大を積極的に図っていく。 日産はパルサーの一車種だったエクサを1986年に一新。 独立車種としての販売を開始した。
日産
1980年代
1990年代

テラノ

米国デザインのスタイリッシュSUV
1980年代後半に本格的に盛り上がり始めた 日本の「ヨンク」ブーム。 各自動車メーカーも、その流れに対応した 新型車を次々と開発する。 日産は米国で基本デザインを描いた 新種のSUVを1986年にリリースした。
日産
1980年代
1990年代

パオ

日産パイクカーの第二弾
1987年に市販を開始したBe-1で 一大パイクカー・ブームを巻き起こした日産は、 「2匹目のドジョウ」を狙って新型車を開発する。 1987年の東京モーターショーで参考出品、 1989年に市場デビューした新パイクカーは、 PAO(パオ)のネーミングが付けられていた。
日産
1980年代
1990年代

180SX

DOHCターボ搭載ハッチバッククーペ
一世を風靡したS13型シルビアから 遅れること10カ月。DOHCターボのみという スポーティなFRスポーツが登場した。 リトラクタブルヘッドライトを持つ180SX(RS13型)。 従来のS110型およびS12型に設定した ハッチバック仕様の後継モデルだった。
日産
1970年代

フェアレディ240Z

スポーツカーの歴史を塗り替えた高性能“Z-CAR”
日産自動車は1969年にクーペボディの精悍フォルムを まとった新世代スポーツカーの「フェアレディZ」を発売。 米国市場では1970年に「DATSUN 240Z」として発表する。 さらに1971年には輸出専用であったL24型エンジンを搭載する 「フェアレディ240Z」シリーズを日本国内でリリースした。 240Zは最強のパーソナルGTとしてマニアからの熱い支持を獲得。 スポーツカーの歴史を塗り替える。
日産
1950年代

日産の歴史1 第一期/1933-1959

ジャパン・オリジナルを求めた技術者集団の軌跡
1933年、日本の未来を信じる企業家、 鮎川義介が設立した「日産自動車」は、 日本に最適なジャパン・オリジナルの小型車を目標とした。 1935年ダットサンの量産1号車からはじまるそのこだわりは、 戦後海外メーカーとの技術提携を経て、 初代ブルーバードの成功へと結実する。
日産
1970年代

チェリー

革新の合理設計。日産初のFFモデル
1960年代後半の日産自動車のエントリーカーは、 サニーがその役割を担っていた。 しかしカローラとのシェア争いで、 ボディの大型化や装備の高級化を余儀なくされる。 新たな入門車の開発が急務となった首脳陣は、 合併したプリンス自動車の開発途中のモデルに 白羽の矢を立てた――。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア

縦目4灯。プリンス自動車の遺産
業績好調の日産自動車は、 その勢いを誇示するような政策を 1966年8月に実施する。 独自の高い技術を持ち、 レースの世界でも活躍していた プリンス自動車工業の吸収合併だ。 合併後の1967年4月、 プリンスの最上級車種だったグロリアが 「日産グロリア」の名でデビューする。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア(総論)

プリンスが培った技術力を備えた秀作
新世代グロリアの開発を進めていたプリンスの開発陣。 プリンスの名に恥じない高級サルーンを目指していた。 しかし、1966年に日産との合併が現実のものに。 1959年の初代から数え3代目となった グロリア(A30型)は、日産の名を冠し登場することになる。