オートザムAZ-3 【1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999】

個性的スタイルのカジュアル志向コンパクトクーペ

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


5チャンネル販売網の一翼、オートザム系列店を新設

 後年になって“バブル景気”と呼ばれる未曾有の好景気を謳歌していた1980年代後半の日本。自動車業界も例外ではなく、主要メーカーは豊富な資金を背景に、販売ディーラーの強化やニューモデルの開発を積極的に推し進めた。

 ファミリアのヒットや海外市場での伸長などで上昇気流に乗っていたマツダは、国内第3位の地位を確立し、さらに上位のトヨタと日産に迫るための大きな賭けに打って出る。販売網の大がかりな増強だ。目指したのはトヨタが展開していた5チャンネルの販売体制の構築で、そのための車種ラインアップの拡大を画策した。1989年4月になると、マツダは新たな販売チャンネルを一気に2拠点も設立する。オートザム系列店とユーノス系列店だ。このうちオートザム系列店は「あなたの街の身近なカーショップ」をコンセプトに掲げ、軽自動車キャロルやランチア車を中心に商品を取りそろえる。また、1990年9月にはコンパクト2.5BOX車のレビューをラインアップに加えた。

カジュアルなスポーティクーペという新提案

 勢いに乗るマツダは、次なる新車種としてコンパクトクラスのFFスポーティクーペを計画する。販売を手がけるのは新規ディーラー網のオートザム系列店とユーノス系列店。基本シャシーとボディは開発期間とコストを考慮して2系列店用とも共通とし、一方でエンジンや内装などを差異化してオートザム系列店用はカジュアル、ユーノス系列店用は上級スペシャルティを志向した。

 新しいスポーティクーペのスタイリングは、ウエッジシェイプのフォルムにコンパクトなキャビン、3次曲面ガラスを用いたハッチゲートなどで構成する。プラットフォームには既存のBタイプを基に徹底した改良を施したEプラットフォームを採用。ホイールベースを2455mmとして4名分のキャビンスペースを確保し、サスペンションには専用セッティングの4輪ストラットを組み込んだ。
 搭載エンジンについては既存の改良版であるB5型1498cc直4DOHC16Vと新開発のK8型1844cc・V6DOHC24Vを設定し、オートザム系列店用にはB5型を、ユーノス系列店用にはK8型を採用する。組み合わせるミッションには5速MTと4速AT(EC-AT)を用意した。

キャッチコピーは「僕に、感じやすい」

 マツダの新しいスポーティクーペは、まず1991年3月開催のジュネーブ・ショーにおいて「MX-3」の名で初披露される。そして同年6月になって、日本仕様の「ユーノス・プレッソ」と「オートザムAZ-3」が市場デビューを果たした。

 オートザム(AUTOZAM)の略である“AZ”と車格を意味する“3”を組み合わせたネーミングを冠するAZ-3は、「Si」のモノグレードにスペシャルパッケージ/ABSパッケージ/スーパーサウンドパッケージの3タイプをラインアップする。キャッチコピーは若者の感性に訴えかけるようなフレーズの「僕に、感じやすい」。CMソングには当時高い人気を誇った米米クラブ(K2C)の『I・CAN・BE』が使用され、スポーティクーペのオシャレな雰囲気をいっそう引き立てた。

 かつてのイタリアンデザインのクーペを彷彿させる小粋なスタイリングを有した渾身作のAZ-3。しかし、メーカーの期待に反して販売成績は伸び悩む。1990年代初頭はステーションワゴンやクロスカントリー4WDといったレクリエーショナルビークル(RV)の人気が高く、AZ-3に限らずクーペモデルの販売は低落傾向にあったのだ。何とかAZ-3の市場での注目度を引き上げようと、マツダは懸命の改良と車種追加を実施していく。まず1992年2月には、CDチェンジャーなどを備えた特別仕様車のAVスペシャルを発売。同年6月にはスポーティな特別仕様車のSRリミテッドをリリースする。1993年9月になるとマイナーチェンジを敢行。プレッソに搭載していたK8型エンジンをAZ-3にも拡大展開し、GT-A/GT-Xグレードとして追加設定する。同時にバケットシートや大型スポイラーを装備するなど、内外装のスポーティ度を引き上げた。

 スポーティクーペとしての魅力度を着実に高めていったAZ-3。しかし、販売成績は低調のままに推移し、そのうちにバブル景気の崩壊によるマツダ本体の経営悪化が深刻化する。結果的にオートザム系列店は規模や売り上げ等に一定の基準が設けられ、1998年に新体制として「マツダ・オートザム」系列店へと移行。それに合わせて、AZ-3の生産は1998年をもって終了することとなったのである。