スカイライン2000GT 【1972,1973,1974,1975,1976,1977】

超人気モデルに成長した4代目“ケンメリ”

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次世代上級スポーティモデルの模索

 クルマに対する要求性能が多様化し、同時に大気汚染の対策や安全性の向上が必須課題となった1960年代終盤から1970年代初頭にかけての日本の自動車界。日産自動車は、高性能なスポーティモデルとして高い人気を誇るスカイライン(C10型系)のフルモデルチェンジを実施する。目標としたのは、「1970年代の先端をいくスポーティファミリーカーの創出」。具体的には、1:人間尊重の商品設計。2:時代との調和のなかで特徴を維持したスタイル。3:高い信頼性。4:積極的な安全・公害対策㈭優れた高性能野4点だった。

 開発を指揮したのは旧プリンス自動車工業のエンジニアで、スカイラインという名称の生みの親でもある櫻井眞一郎氏。リーダーとして辣腕を振るった櫻井は、「新型スカイラインのなかに自分の情熱とか、体温、鼓動など、そうした人間の“情”や温かさをつぎ込んだ」という。つまり、“血の通ったクルマ造り”を実践したわけだ。この開発信条は、後のスカイラインにも徹底して受け継がれることとなった。

サーフィンラインを活かしながら新しいスタイルを構築

 車両デザインに関しては、サーフィンラインを採用した3代目の“ダイナミックで優美なスタイル”を踏襲しながら、一段とシャープなスピード感を加えて近代的かつ斬新なスタイリングに仕立てる。ディメンションでは全長と全幅ともに拡大され、ボディタイプは2ドアハードトップ/4ドアセダン/ワゴン/バンの4タイプを設定した。

 開発陣は、ボディごとにスタイリングの個性を際立たせる。ハードトップは美しいプロポーションをもつファストバックスタイルを基本に、力強いウエッジ形のウエストラインと鋭く傾斜したサーフィンライン、彫刻的な造形のラジエターグリル、円形コンビネーションランプを組み込んだスポーティなリアビューなどでダイナミックさを強調。セダンはノッチバックスタイルをベースに、ウエッジ形のウエストラインと個性的なサーフィンライン、三角窓を取り去った開放感あふれるガラスエリアなどで優美さを主張する。ワゴンおよびバンは、シャープなサーフィンラインやクオーターガラスを持たないCピラー、リアのコンビネーションランプのラインに合わせて設定したガーニッシュなどで乗用車ムードあふれる上質なスタイルを演出した。

豪華で人間中心の室内デザインを創造

 室内については安全性と居住性の向上をメインに、使いやすさや豪華さ、楽しさを盛り込み、やすらぎのある人間中心のキャビンスペースを構築する。インパネは大型のソフトパッドで覆い、同時にキャビン部をフルトリム化。また、メーターには見やすい円形の無反射タイプを装着するとともに、主要スイッチ類はすべてステアリングコラム部に配置した。さらに、最上級グレードには木目パネルを多用して豪華さを打ち出す。

 ステアリングはバンを除く全車にコラプシブルタイプを採用し、最上級グレードは木製部分革巻き3本スポーク、スポーツ仕様は革巻き3本スポーク、上級グレードは木製風の部分革巻き3本スポーク、ベーシック仕様はパッド付2本スポークを装着した。シートは新設計の大型タイプを組み込み、スライド量も増加。ハードトップの助手席にはウォークイン機構を内蔵し、さらに運転席側からもシートの移動操作ができるように配慮する。表地はグレードの特性に合わせて、上級クロスやレザー、トリコットなどを採用した。

2000GTの心臓は2種の直列6気筒のL20型

 メカニズム面の刷新についても抜かりはなかった。搭載エンジンは2000GT用が2種。従来の改良版であるL20型1998cc直6OHCのシングルキャブ仕様(115ps/16.5kg・m。ハイオクガソリン仕様120ps/17.0kg・m)とツインキャブ仕様(125ps/17.0kg・m。同130ps/17.5kg・m)を搭載した。この他に通常モデル用として、G18型1815cc直4OHC(105ps/15.3kg・m)と新開発のG16型1593cc直4OHC(100ps/13.8kg・m)を設定。全エンジンともに排出ガス対策としてクローズド式ブローバイガス還元装置およびアイドルリミッター付気化器、燃料蒸発防止装置を組み込んだ。

 ミッションはL20型エンジン系が5速MT/4速MT/3速フルオートマチックを、G型エンジン系が4速MT/3速フルオートマチック(フロア/コラム)/3速MT(コラム)を設定する。サスペンションは2000GT系が前マクファーソンストラット/後セミトレーリングの4輪独立懸架装置を、それ以外の仕様には前マクファーソンストラット/後半楕円リーフを採用し、専用セッティングのダンパーおよびコイルスプリングの装着やトレッドの拡大、ホイールベースの延長などと相まって優れた乗り心地と操縦安定性を成し遂げた。

 メカニズム関連ではほかにも、バリアブルステアリングギアや前輪ディスクブレーキおよびマスターバック、タンデムマスターシリンダー、急制動時の尻振りを防止するPバルブ、クラッチ無調整機構、3ジョイントプロペラシャフト、フレッシュエアシステムおよび強制ベンチレーションシステムなどを組み込み、新世代のスポーティファミリーカーにふさわしいパフォーマンスを実現した。

豊富なラインアップ。人気爆発!

 4代目となるスカイラインは、C110の型式を冠して1972年9月に市場デビューを果たす。車種系列はメインとなる2000GT系がセダン2グレード(GT/GT-X)とハードトップ2グレード(GT/GT-X)の計4グレード、1.8lリッター車がセダン2グレード、ハードトップ1グレード、ワゴン1グレード、バン1グレードの計5グレード、1.6リッター車がセダン4グレード、ハードトップ2グレード、バン2グレードの計8グレードをラインアップした。

 合計17グレード/37基本車種というワイドバリエーションで多様化するユーザー指向に対応し、さらに“ケンとメリーのスカイライン”と称する従来にはないファッショナブルな販売キャンペーンを展開した4代目スカイラインは、“ケンメリ”という愛称とともに先代のC10型系ハコスカを上回る高い人気を獲得し、登録台数を大いに伸ばしていく。開発陣もこの勢いに乗るようにして、バリエーションの拡大や緻密な改良を図っていった。

 市場が注目したのは、1973年1月にデビューした高性能モデルの「ハードトップ2000GT-R」(KPGC110型)だった。搭載エンジンは従来のハコスカGT-Rと同様のS20型1989cc直6DOHC24Vユニットで、160ps/18.0kg・mのパワー&トルクを発生。組み合わせるミッションは専用セッティングの5速MTで、ブレーキにはマスターバック付きの4輪ディスクを奢る。サスペンションは各部を強化したうえで専用のダンパー&コイルスプリングとリアスタビライザーを装備。外装には前後オーバーフェンダーやリアスポイラー、専用フロントグリルなどを装着した。

 GT-Rの登場で、いよいよケンメリもサーキットデビューか−−とファンから期待されたが、ボディが大きく重くなったケンメリGT-Rはレースには不向き。さらに、時代は大気汚染問題に端を発するクルマの排出ガス規制が厳しくなる一方で、日産としてもこの問題に資金と人員を大幅に割く必要があった。結果的にケンメリGT-Rはレースに投入されることなく、197台を生産しただけで姿を消すこととなったのである。

歴代モデルで最高の販売台数を記録

 レースには参戦しなかったものの、4代目スカイラインは市場での高い人気を維持し、排出ガス規制に対してもNAPS(Nissan Anti Polution System)を導入するなどして随時クリアしていく。1975年10月にはマイナーチェンジを行い、G16型エンジンはL16型(1595cc直4OHC)に、G18型はL18型(1770cc直4OHC)に換装。同時に内外装のデザインも変更され、一部の型式はC111に改称された。

 1977年8月になるとスカイラインは全面改良が行われ、C210の型式をつけた5代目、通称“SKYLINE JAPAN”に移行する。ケンメリの総販売台数は67万562台。この記録は3代目のハコスカの31万447台を大きく上回り、また後のモデルも超えることができない歴代最高の台数に昇華したのである。

 4代目スカイラインを語るうえでは欠かすことができないのが、“ケンとメリーのスカイライン”と称する販売キャンペーンである。先代の“愛のスカイライン”キャンペーンを継承、発展する形で展開したイメージ向上戦略は、メーカー自身が驚くほどの注目を集めた。

 内容としては、ケンとメリーを名乗る若いカップルが4代目スカイラインに乗って日本各地をドライブするというもので、CM作品数は全16話。登場車はハードトップがメインで、後半にはセダンも使用される。当初は陣内たけしとダイアン・クレイが、後に前田俊彦とテリー・ミラーがケンとメリーを演じた。挿入歌はBUZZが歌う『ケンとメリー〜愛と風のように〜』という楽曲で、好評のためにレコード化されて30万枚を超えるセールスを記録する。また、キャンペーングッズとして制作されたTシャツやキャップ、バッグ、キーホルダーなども高い人気を博した。トレードマークの相合傘(傘の下にKen&Maryのロゴを表記)とともに、ユーザーから熱い視線を集めた4代目スカイライン。1980年代に入るとホンダ・プレリュードやトヨタ・ソアラなどが人気のデートカーとして持て囃されるが、実は“ケンメリ”スカイラインが元祖だった。