ジェミニ 【1990,1991,1992,1993】

アメリカンルックを纏った最後の純血モデル

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


3代目は斬新な造形で颯爽デビュー

 1990年3月に登場した3代目のジェミニは、すべてに個性的なクルマだった。見る者の目を奪ったのがスタイリングである。横長の楕円形状ヘッドランプを配置したグリルレスのフロントマスクを持ち、豊かな曲面と切り立ったCピラーを持つ造形は鮮烈そのもの。初代、2代目と続いたヨーロピアンな味わいから決別し、アメリカンコンパクトの風合いを漂わせた。

 当時のいすゞはGMグループの一員であり、日本とともにアメリカをメイン市場と捉えていたからスタイリングの方向転換は戦略的なものだった。現在の目で見ると3代目のスタイリングは躍動的でまとまりがいい。しかしデビューした1990年当時は、あまりに斬新だった。

 それまでのジェミニは、上質さとお洒落な雰囲気で高い人気を築いていた。3代目にはもはやその面影はなかった。好き嫌いのはっきりと別れる造形だった。ジェミニの属する上級コンパクトクラスは、日本ではオーソドックスな風合いのモデルが好まれた。カローラやサニーといったライバルを見ればそれは明らかである。従来のジェミニは日本市場のニーズを十分に吟味した造形だったが3代目は明らかな“冒険”だった。

いすゞの発明!ナチュラル4WS

 走りを支える足回りも個性的だった。形式こそ4輪ストラット式と標準的だったが、“ニシボリック・サスペンション”と命名したナチュラル4WS機構を組み込んだのである。ニシボリック・サスペンションは、後輪のトーイン&トーアウトを時間軸でコントロールし、キビキビとした挙動と高い安定性を演出する新システムだった。

 コーナリング初期には後輪をトーアウト状態としクイックさを演出。その後は後輪をトーインに変化させ安定性を高める機構だ。前輪の切れ角に対応して後輪の動きを作り出す他社の4WS機構とは異なり、コーナリング初期/中後期という時間軸で後輪の動きをコントロールする点が独特だった。しかも後輪の動きの制御はメカニカルなものではなくサスペンション取り付け部のブッシュとラテラルリンクのチューニングによって行っていた。

 積極的に挙動を作り出す後輪に対応して前輪には優れた直進性をもたらすハイキャスター・ジオメトリーを与えるなど、ニシボリック・サスペンションは理論的には優れたものだった。しかし、実際にドライブすると熟成不足の感があった。平滑な路面では確かにメーカーの主張どおりのハンドリングが楽しめたのだが、路面が少しでも荒れていると挙動が安定せず、ドライバーに違和感を与えたのである。せっかくの意欲的な試みだったが、完成度の面で課題を残していた。

走りを競った2つのスポーティシリーズ

 ラインアップも個性的だった。標準モデルとなるC/Cシリーズに加え、ハンドリングbyロータスとイルムシャーという性格の異なる2つのスポーティシリーズをラインアップしたのだ。ロータスは大人の風合い、イルムシャーはハードな走り指向を強調し、マニアの心を刺激する。

 パワーユニットはC/Cシリーズが1471ccの4XCI型・直4OHC12V(100ps)と、いすゞのお家芸でもある経済的な1686ccの4EEI型・直4OHCディーゼルターボ(88ps)の2種。ロータスはレッドゾーンを8000rpmに設定した高回転型1588ccの4XEI型・直4DOHC16V(140ps)を搭載した。イルムシャーはロータスと共通の4XEI型に加え、シリーズ最強の1588ccの4XEI-T型・直4DOHC16Vターボ(180ps)も選べた。駆動システムはFFが基本で、4XEI-T型ユニットを積むイルムシャーRのみはフルタイム4WDの組み合わせである。

隠れたスポーツ心臓!ディーゼルターボの凄い実力

 ディーゼルエンジンはいすゞのお家芸だが、3代目ジェミニが搭載した4EEI型1686cc直4ディーゼルターボは完成度の高いエンジンだった。88ps/4500rpmとガソリンと遜色のない最高出力をマークしただけでなく、わずか2500rpmで17.0kg・mの豊かなトルクを生みだしたからだ。

 小型軽量設計のインタークーラーターボのレスポンスは良好で、右足の踏み込みに即応してパワーが盛り上がるのは刺激的だった。騒音レベルも低く、しかも本来の経済性が圧倒的なディーゼルターボは、3代目ジェミニの隠れたスポーツ心臓と言えた。とくに5速マニュアルと組み合わせると走りは思いのまま。高速道路でも胸のすく加速が味わえた。ユーザーの一部からはディーゼルターボ仕様のイルムシャーやロータスが欲しいという声も上がった。それほどドライバーを魅了するエンジンだった。

 3代目ジェミニは“才なクルマ”のキャッチコピーどおり、いすゞらしい個性、クルマの才能を身に付けた意欲作だった。しかし保守的な日本のマーケットにはややアバンギャルドすぎる存在だった。販売成績は好調とは言い難かった。セダン以上に鮮烈なスタイリングを持つハッチバックやクーペの積極投入でユーザー層の掘り起こしを狙ったが、残念ながら販売が好転することはなかった。結局自社開発のジェミニは3代目が最後となり、4代目はホンダ・ドマーニのOEM供給車に変化した。