日産の歴史3 第三期/1973-1984
排出ガス規制の克服と車種の拡大
1970年代中盤の日産自動車は、
他メーカーと同様に石油危機による供給制限と
排出ガス規制への対応に苦慮することになる。
難題を克服した同社は、1970年代末ごろから
車種展開の拡大と施設の増強を実施し、
トヨタへの追撃体制を構築していった──。
日産の歴史2 第二期/1960-1972
乗用車とスポーツカーでの躍進した黄金期
ダットサン・ブルーバードのヒットや
中型乗用車のセドリックのデビューなどで、
快進撃を続ける1960年代の日産自動車。
1966年にはプリンス自動車を合併して、
車種展開の拡大と新技術の導入を図る。
モータースポーツにも積極的に参戦した。
フェアレディZ 300ZX
ハイテク技術を積極的に採用した新世代Z-CAR
好景気に華やぐ1980年代後半の日本の自動車市場。
潤沢な開発資金を有する自動車メーカーは、
市販モデルのハイテク化を積極的に推し進めていく。
日本屈指のスポーツモデルである
日産自動車のフェアレディZも、
渾身のフルモデルチェンジを実施した。
スカイラインHT2000GT-R
わずか4カ月で生産を終了した孤高のケンメリR
“日本の風土が生んだ傑作車”と謳われる
高性能スポーティモデルのスカイラインは、
1972年9月になると全面改良が実施され、
第4世代となるC110型系に切り替わる。
4カ月後の1973年1月にはS20型エンジンを
搭載する「ハードトップ2000GT-R」が登場。
排出ガス規制などに翻弄されてわずか197台を
生産しただけで表舞台から去ったが、その存在は
スカイライン史の大いなる“伝承物”となった。