プリンス・スカイライン(ALSI)
先進技術を投入したこだわりセダン
歴代スカイラインは、独自の個性を持つクルマだ。
この伝統は1957年4月に登場した初代モデルから変わらない。
高い技術レベルを誇った開発陣のこだわりは
従来にないタフさと快適性の融合。
初代モデルは、国産初のド・ディオン・アクスルを採用した足回りや
パワフルなエンジンで俊敏で快適な走りを実現し
伸びやかなスタイリングでユーザーを魅了した。
イタリアンデザインのパーソナルカーも話題を呼ぶ。
首都高速の歴史1 第一期/1959-1973
都心の交通戦争の解消を目指して
トラックや乗用車の普及によって
交通渋滞が発生し始めた1950年代後半の東京。
この問題は今後さらに深刻化することが予想され、
時の政府はその対策に乗り出す。
1959年には首都高速道路公団を設立。
都市部の高速道路網が計画されることとなった。
ラジコンの歴史 /1955-
自由自在に動く自動車模型
実物のクルマを運転できなかった子供達にとって、
モデルカーは憧れのクルマに触れる第一歩だった。
そのモデルカーはやがてモーターによって動き始め、
さらに無線で操作できるタイプに進化していく。
ダイナミックな走りが楽しめる電動ラジコンカーは、
子供とともに、大人を含め多くのファンを獲得していった──。
特殊車両の歴史1 第一期/1930-1960
「働くクルマ」の普及
国土のインフラを効率的に整備するうえで
必要不可欠なのが工事現場に従事するクルマ、
いわゆる特殊車両である。
日本では時の政府の富国政策のもとに
1930年代から本格的に使用され始めた。
世界屈指の建機メーカーであるコマツの歴史から
日本の特殊車両の変遷を振り返っていこう。
A50ケンブリッジサルーン
乗用車作りを学んだ日産の記念碑
日産が“技術の日産”として発展し
世界をリードするクルマを作り出した裏には
よき師の存在があった。英国のオースチンである。
先進の乗用車作りを学ぶため日産は1952年に英国オースチンと提携。
主力モデルだったA40サマーセットサルーンのノックダウンを開始する。
1955年、A50ケンブリッジサルーンに生産車をスイッチしてからは
国産化が進み、1956年8月には完全な国産化を達成した。
日産がオースチンで培った技術はブルーバードやセドリックに発展し、
日本のモーターリーゼーションの牽引者の地位を明確にする。
トヨタの歴史2 第二期/1958-1972
日本No.1メーカーへの成長と足固め
オリジナル乗用車のクラウンやコロナなど、
積極的に新型車を発売した1950年代半ばのトヨタは、
来るべき1960年代に向けて小型車の開発に乗り出す。
さらに自社の技術力を世界にアピールする
スポーツカーの製作にも意欲を見せ始めた――。
トヨタの歴史1 第一期/1930-1957
栄光のトヨタ、苦闘の青春時代
トヨタの歴史は1930年、
豊田喜一郎が小型エンジンの開発をスタートしたときからスタートする。
1933年、豊田自動織機製作所に自動車部を設置。
混乱の戦時を経て、1955年には純国産の乗用車である
「トヨペット・クラウン」が誕生。
トヨタは日本を代表する自動車メーカーとして躍進をはじめる。
ダイハツの歴史1 第一期/1907-1967
コンパクトカー・メーカーとしての発展
国産初のガソリン自動車“タクリー号”が
産声を上げた1907年(明治40年)の日本。
同じ年に大阪では、注目の新会社が創立される。
内燃機関の製作と販売を目的に立ち上げた、
その名もずばり“発動機製造株式会社”だ。
同社は戦後、ダイハツ工業として発展していく。
スズキの歴史1 第一期/1920-1965
繊維織機メーカーから自動車メーカーへ
軽自動車生産・販売のリーダーメーカー、
世界規模で4輪と2輪を開発する希少な企業、
インドを中心とする独自のグローバル展開。
スズキに冠せられるキャッチフレーズは、
いずれも会社の個性を強調するものばかりだ。
その源泉は、同社の稀有な変遷にあった――。