スズキの歴史2 第二期/1966-1977
軽自動車メーカーとしての発展
スズライト・フロンテやバンの開発で、
軽自動車メーカーとしての確固たる地位を
築き始めた鈴木自工は、1960年代後半に入ると
小型車のマーケットにも進出する。
同時に軽自動車のラインアップもさらに強化。
排出ガス規制にも2ストロークで挑んだ。
スズキの歴史1 第一期/1920-1965
繊維織機メーカーから自動車メーカーへ
軽自動車生産・販売のリーダーメーカー、
世界規模で4輪と2輪を開発する希少な企業、
インドを中心とする独自のグローバル展開。
スズキに冠せられるキャッチフレーズは、
いずれも会社の個性を強調するものばかりだ。
その源泉は、同社の稀有な変遷にあった――。
日産の歴史3 第三期/1973-1984
排出ガス規制の克服と車種の拡大
1970年代中盤の日産自動車は、
他メーカーと同様に石油危機による供給制限と
排出ガス規制への対応に苦慮することになる。
難題を克服した同社は、1970年代末ごろから
車種展開の拡大と施設の増強を実施し、
トヨタへの追撃体制を構築していった──。
日産の歴史2 第二期/1960-1972
乗用車とスポーツカーでの躍進した黄金期
ダットサン・ブルーバードのヒットや
中型乗用車のセドリックのデビューなどで、
快進撃を続ける1960年代の日産自動車。
1966年にはプリンス自動車を合併して、
車種展開の拡大と新技術の導入を図る。
モータースポーツにも積極的に参戦した。