ダットサン
日産
1960年代

1200トラック

ブルーバードの雰囲気を持つタフな相棒
1959年に登場した初代ブルーバードは多くのファンを獲得。 乗用車の代名詞的な存在へと瞬く間に成長した。 日産自動車では人気のブルーバードのイメージを 商業モデルにも拡大展開することを決定。 積極的にモデルの改良を図った。 1961年に登場したダットサン・トラックは まさにブルーバードの洗練されたイメージを携えていた。
日産
1970年代

チェリー1200X-1

欧州で評価された“超えてる”FFコンパクト
1970年に登場したチェリーは クラスレスの魅力を発散する“革新”の小型車だった。 エンジン横置きのFFシステムをはじめ、 メカニズムはすべてが新しく、スタイリングも新鮮。 旧プリンスの設計チームが手がけただけに 時代をリードする新しさに満ち溢れていた。 とくにスポーツモデルのX-1は、鮮烈な走りのマシン。 欧州でも高い評価を受けたエポックモデルだ。
プリンス
日産
1960年代

スカイライン2000GT

スポーツカーの速さを持った“初代赤バッジ”
スカイライン2000GTを生みだしたもの、 それは誇り高いプリンス技術陣の悔しい思いだった。 1963年の第一回日本グランプリでプリンスは メーカー間の紳士協定を忠実に守り 市販状態そのままのクルマで参戦。惨敗を喫する。 自らの技術力に対し絶対的な自信を持っていたプリンスにとって 敗北は受け入れることのできない屈辱だった。 第二回日本グランプリでは絶対に優勝する! その強い意思が奇跡を生み、スカイライン神話を樹立する。
日産
オースチン
1950年代
1960年代

A50ケンブリッジサルーン

乗用車作りを学んだ日産の記念碑
日産が“技術の日産”として発展し 世界をリードするクルマを作り出した裏には よき師の存在があった。英国のオースチンである。 先進の乗用車作りを学ぶため日産は1952年に英国オースチンと提携。 主力モデルだったA40サマーセットサルーンのノックダウンを開始する。 1955年、A50ケンブリッジサルーンに生産車をスイッチしてからは 国産化が進み、1956年8月には完全な国産化を達成した。 日産がオースチンで培った技術はブルーバードやセドリックに発展し、 日本のモーターリーゼーションの牽引者の地位を明確にする。
日産
1990年代
2000年代

テラノ

オールラウンド性を高めた全地球対応SUV
2代目のテラノは、 全方位で走りの性能を磨いた逸材だった。 ビルトインフレーム方式の 軽量で強靱なモノフレームボディ、 路面を選ばないオールモード4×4機構、 パワフルでスムーズなエンジン群……、 厳しい大自然のなかはもちろん、 都会でもスマートさを失わないダンディな存在。 2代目は大きく進化していた。
日産
1970年代
1980年代

日産の歴史3 第三期/1973-1984

排出ガス規制の克服と車種の拡大
1970年代中盤の日産自動車は、 他メーカーと同様に石油危機による供給制限と 排出ガス規制への対応に苦慮することになる。 難題を克服した同社は、1970年代末ごろから 車種展開の拡大と施設の増強を実施し、 トヨタへの追撃体制を構築していった──。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

日産の歴史2 第二期/1960-1972

乗用車とスポーツカーでの躍進した黄金期
ダットサン・ブルーバードのヒットや 中型乗用車のセドリックのデビューなどで、 快進撃を続ける1960年代の日産自動車。 1966年にはプリンス自動車を合併して、 車種展開の拡大と新技術の導入を図る。 モータースポーツにも積極的に参戦した。
日産
2000年代
2010年代

2017 GT-R

究極のドライビングプレジャーを追求。“深化”を続ける赤バッジ
日産自動車は2007年に単独車種に移行した新世代の “赤バッジ”モデル、R35型「GT-R」を市場に放つ。 専用のプラットフォームにVR38DETTエンジン+6速DCT、 独立型トランスアクスル4WDといった最新メカを豊富に 盛り込んだR35は世界屈指のスーパーパフォーマンスを実現。 さらにデビュー後も進化と深化の道程を歩み続け、 2017年モデルではR35発売以来最大の規模となる エクステリア&インテリアのデザイン変更を実施した。
日産
1980年代
1990年代
2000年代

フェアレディZ 300ZX

ハイテク技術を積極的に採用した新世代Z-CAR
好景気に華やぐ1980年代後半の日本の自動車市場。 潤沢な開発資金を有する自動車メーカーは、 市販モデルのハイテク化を積極的に推し進めていく。 日本屈指のスポーツモデルである 日産自動車のフェアレディZも、 渾身のフルモデルチェンジを実施した。
日産
1970年代

スカイラインHT2000GT-R

わずか4カ月で生産を終了した孤高のケンメリR
“日本の風土が生んだ傑作車”と謳われる 高性能スポーティモデルのスカイラインは、 1972年9月になると全面改良が実施され、 第4世代となるC110型系に切り替わる。 4カ月後の1973年1月にはS20型エンジンを 搭載する「ハードトップ2000GT-R」が登場。 排出ガス規制などに翻弄されてわずか197台を 生産しただけで表舞台から去ったが、その存在は スカイライン史の大いなる“伝承物”となった。