プリンス
日産
1960年代
1970年代

プリンス・ロイヤル

高い技術力で作り上げた国産御料車
日本屈指の高い技術力を持ち、 数々の名車を生み出してきたプリンス自動車。 その究極形といえるモデルが、 国産初の御料車として採用された プリンス・ロイヤルだろう。 しかし、このモデルが宮内庁に納入されるまでには、 さまざまなドラマがあった。
プリンス
日産
1950年代
1960年代

プリンス・スカイライン(ALSI)

先進技術を投入したこだわりセダン
歴代スカイラインは、独自の個性を持つクルマだ。 この伝統は1957年4月に登場した初代モデルから変わらない。 高い技術レベルを誇った開発陣のこだわりは 従来にないタフさと快適性の融合。 初代モデルは、国産初のド・ディオン・アクスルを採用した足回りや パワフルなエンジンで俊敏で快適な走りを実現し 伸びやかなスタイリングでユーザーを魅了した。 イタリアンデザインのパーソナルカーも話題を呼ぶ。
プリンス
日産
1960年代

スカイライン2000GT

スポーツカーの速さを持った“初代赤バッジ”
スカイライン2000GTを生みだしたもの、 それは誇り高いプリンス技術陣の悔しい思いだった。 1963年の第一回日本グランプリでプリンスは メーカー間の紳士協定を忠実に守り 市販状態そのままのクルマで参戦。惨敗を喫する。 自らの技術力に対し絶対的な自信を持っていたプリンスにとって 敗北は受け入れることのできない屈辱だった。 第二回日本グランプリでは絶対に優勝する! その強い意思が奇跡を生み、スカイライン神話を樹立する。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

日産の歴史2 第二期/1960-1972

乗用車とスポーツカーでの躍進した黄金期
ダットサン・ブルーバードのヒットや 中型乗用車のセドリックのデビューなどで、 快進撃を続ける1960年代の日産自動車。 1966年にはプリンス自動車を合併して、 車種展開の拡大と新技術の導入を図る。 モータースポーツにも積極的に参戦した。