プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア

縦目4灯。プリンス自動車の遺産
業績好調の日産自動車は、 その勢いを誇示するような政策を 1966年8月に実施する。 独自の高い技術を持ち、 レースの世界でも活躍していた プリンス自動車工業の吸収合併だ。 合併後の1967年4月、 プリンスの最上級車種だったグロリアが 「日産グロリア」の名でデビューする。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア(総論)

プリンスが培った技術力を備えた秀作
新世代グロリアの開発を進めていたプリンスの開発陣。 プリンスの名に恥じない高級サルーンを目指していた。 しかし、1966年に日産との合併が現実のものに。 1959年の初代から数え3代目となった グロリア(A30型)は、日産の名を冠し登場することになる。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

プリンス・ロイヤル

高い技術力で作り上げた国産御料車
日本屈指の高い技術力を持ち、 数々の名車を生み出してきたプリンス自動車。 その究極形といえるモデルが、 国産初の御料車として採用された プリンス・ロイヤルだろう。 しかし、このモデルが宮内庁に納入されるまでには、 さまざまなドラマがあった。
ダットサン
日産
1960年代

フェアレディ1600

シルビアの心臓を積み、走りを磨いたSP311
1962年10月、フェアレディの名が 初めて国内で使われた フェアレディ1500(SP310)が登場する。 その発売から約2年半あまり、 フェアレディは1600ccユニットを搭載するなど、 大きな変更を受ける。 165km/hのトップスピードを誇ったSP311の誕生である。
ダットサン
日産
1950年代
1960年代

スポーツS211

国産スポーツカーのパイオニア
国産スポーツの第一歩となった DC-3から7年が経過した1959年。 沈黙を破り、FRPのモダンなスタイリングを纏った 「ダットサン スポーツS211」が発売となった。 フェアレディを名乗る輸出専用モデルへと 短期間のうちにスライドするが、 そのスピリットは、最新Z-CARへ、 確かに受け継がれていく。
三菱
1960年代
1970年代

三菱の歴史2 第二期/1963-1976

フルラインメーカーへの足固め
三菱500やコルト600、ミニカなどの開発で、 自動車市場への進出を果たした旧三菱系3社は、 1964年に三菱重工業として再び集結し、 さらなる車種ラインナップの拡大を図る。 1970年には三菱重工業から自動車部門が独立。 三菱自動車工業として活動することになった。
日産
1960年代
1970年代

フェアレディZ432

鮮烈な速さを印象づけた生粋サラブレッド
最強のフェアレディZ、それが“432”だ。 レーシングフィールドから生まれた珠玉の S20型DOHC24Vユニットを搭載し, 210km/hのトップスピードをマークしたトップアスリートである。 432のネーミングは“4バルブ、3キャブ、ツインカム”に由来し、 高度なメカニズムをストレートにアピールしていた。 世界のスポーツカーシーンを変革した初代Z-CARの頂点。 しかし、その生涯は意外なほど短命だった。
いすゞ
1960年代
1970年代

いすゞユニキャブ

ワイルドなスタイル。いすゞ製RVの先駆
後にマイカー元年といわれる1966年。 秋の東京モーターショーでは、 各自動車メーカーから800〜1100ccクラスの 渾身の大衆乗用車が多数発表される。 そんな最中、いすゞ自動車のブースでは 風変わりな多用途車が雛壇に上がっていた――。
プリンス
日産
1950年代
1960年代

プリンス・スカイライン(ALSI)

先進技術を投入したこだわりセダン
歴代スカイラインは、独自の個性を持つクルマだ。 この伝統は1957年4月に登場した初代モデルから変わらない。 高い技術レベルを誇った開発陣のこだわりは 従来にないタフさと快適性の融合。 初代モデルは、国産初のド・ディオン・アクスルを採用した足回りや パワフルなエンジンで俊敏で快適な走りを実現し 伸びやかなスタイリングでユーザーを魅了した。 イタリアンデザインのパーソナルカーも話題を呼ぶ。
日産
1960年代

フェアレディ2000

気骨あふれるスパルタン・スポーツ
フェアレディ2000は圧倒的な性能が魅力の “貴婦人”。 トップスピード205km/hを誇り、 ゼロヨン加速は当時日本車最速の15.4秒。 トラディショナルな2シーターオープンながら、 鮮烈なパフォーマンスでモータースポーツでも大活躍した。 ドライビングには相応のテクニックを必要としたが それさえも魅力だったスパルタン・スポーツ。 アメリカでも愛された国際派レディである。