プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア(総論)

プリンスが培った技術力を備えた秀作
新世代グロリアの開発を進めていたプリンスの開発陣。 プリンスの名に恥じない高級サルーンを目指していた。 しかし、1966年に日産との合併が現実のものに。 1959年の初代から数え3代目となった グロリア(A30型)は、日産の名を冠し登場することになる。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

プリンス・ロイヤル

高い技術力で作り上げた国産御料車
日本屈指の高い技術力を持ち、 数々の名車を生み出してきたプリンス自動車。 その究極形といえるモデルが、 国産初の御料車として採用された プリンス・ロイヤルだろう。 しかし、このモデルが宮内庁に納入されるまでには、 さまざまなドラマがあった。
三菱
1970年代
1980年代

ランサー・セレステ

FTOの後継を担う小型スペシャルティ
日本のすべての自動車メーカーが 排ガス対策に苦心していた1970年代半ば、 三菱自工はギャランFTOの実質的な後継となる 小型スペシャルティカーをデビューさせる。 初代ランサーのシャシーを流用したそのモデルは、 “青い空”を意味するセレステのサブネームをつけていた。
三菱
1970年代
1980年代

ミニカ・アミ55

軽新規格に則したFRミニ
排出ガス規制が段階的に 厳しくなっていった1970年代中盤、 軽自動車の規格改定が行われる。 三菱自動車は中心車種のひとつである ミニカをフルモデルチェンジ。 サブネームにアミ55を付けた。
三菱
1970年代
1980年代

三菱の歴史3 第三期/1977-1986

国内No.3の自動車メーカーへと躍進
軽自動車からハイオーナーカーまでを手掛ける フルラインメーカーに発展した三菱自動車は、 1970年代後半に入ると、さらなる販売網の拡大と 車種ラインナップの充実を図っていく。 クルマ自体もいっそう個性的になり、 とくにRVの分野では先陣を切るメーカーとなった。
三菱
1960年代
1970年代

三菱の歴史2 第二期/1963-1976

フルラインメーカーへの足固め
三菱500やコルト600、ミニカなどの開発で、 自動車市場への進出を果たした旧三菱系3社は、 1964年に三菱重工業として再び集結し、 さらなる車種ラインナップの拡大を図る。 1970年には三菱重工業から自動車部門が独立。 三菱自動車工業として活動することになった。
日産
1960年代
1970年代

フェアレディZ432

鮮烈な速さを印象づけた生粋サラブレッド
最強のフェアレディZ、それが“432”だ。 レーシングフィールドから生まれた珠玉の S20型DOHC24Vユニットを搭載し, 210km/hのトップスピードをマークしたトップアスリートである。 432のネーミングは“4バルブ、3キャブ、ツインカム”に由来し、 高度なメカニズムをストレートにアピールしていた。 世界のスポーツカーシーンを変革した初代Z-CARの頂点。 しかし、その生涯は意外なほど短命だった。
いすゞ
1960年代
1970年代

いすゞユニキャブ

ワイルドなスタイル。いすゞ製RVの先駆
後にマイカー元年といわれる1966年。 秋の東京モーターショーでは、 各自動車メーカーから800〜1100ccクラスの 渾身の大衆乗用車が多数発表される。 そんな最中、いすゞ自動車のブースでは 風変わりな多用途車が雛壇に上がっていた――。
ホンダ
1970年代

1300クーペ

非凡な高性能を備えた2ドア空冷スペシャルティ
オープンスポーツカーS500で4輪市場に参入し、 軽自動車N360でクラスのリーダーになったホンダ。 小型車マーケットへの本格進出となった 1300シリーズのクーペ版は、 高性能な二重空冷ユニットを搭載。 スタイリッシュな造形で ポテンシャルの高さをアピールした。
1950年代
1960年代
1970年代

首都高速の歴史1 第一期/1959-1973

都心の交通戦争の解消を目指して
トラックや乗用車の普及によって 交通渋滞が発生し始めた1950年代後半の東京。 この問題は今後さらに深刻化することが予想され、 時の政府はその対策に乗り出す。 1959年には首都高速道路公団を設立。 都市部の高速道路網が計画されることとなった。