ホンダ
1970年代
1980年代

シビック

“スーパー・シビック”の登場
CVCCの開発でいち早く排出ガス規制を 克服した本田技研は、 1979年に基幹車種のシビックの フルモデルチェンジを実施する。 1980年代に向けた新しい小型車は、 初代のコンセプトを踏襲しながら、 大幅なリファインを図っていた。
ホンダ
1970年代
1980年代

アコード・サルーン

ワールドカーに成長。快適さを徹底追求
クルマが多用途化していく時代にあって、 アコード・サルーンの開発陣は、 まず快適性を重視した。 アコード3ドアの魅力をそのままに、 パッセンジャーのすべてが 疲れを感じることのないトータルな快適性を追求。 充実の装備や高い質感も備えた。 世界市場を目指す上級サルーンが誕生した。
ホンダ
1960年代

S600クーペ

世界に名を轟かせたSのクーペ仕様
すでにモーターサイクルでは、 世界No.1メーカーとなっていたホンダが、 満を持して送り出した 4輪モデル「ホンダ・スポーツ」。 まず1963年10月に「S500」が登場し、 3カ月後に「S600」がデビュー。 そして、1964年10月のモーターショーで 実用的なクーペモデルが登場する。
日産
1970年代

チェリー

革新の合理設計。日産初のFFモデル
1960年代後半の日産自動車のエントリーカーは、 サニーがその役割を担っていた。 しかしカローラとのシェア争いで、 ボディの大型化や装備の高級化を余儀なくされる。 新たな入門車の開発が急務となった首脳陣は、 合併したプリンス自動車の開発途中のモデルに 白羽の矢を立てた――。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア

縦目4灯。プリンス自動車の遺産
業績好調の日産自動車は、 その勢いを誇示するような政策を 1966年8月に実施する。 独自の高い技術を持ち、 レースの世界でも活躍していた プリンス自動車工業の吸収合併だ。 合併後の1967年4月、 プリンスの最上級車種だったグロリアが 「日産グロリア」の名でデビューする。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア(総論)

プリンスが培った技術力を備えた秀作
新世代グロリアの開発を進めていたプリンスの開発陣。 プリンスの名に恥じない高級サルーンを目指していた。 しかし、1966年に日産との合併が現実のものに。 1959年の初代から数え3代目となった グロリア(A30型)は、日産の名を冠し登場することになる。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

プリンス・ロイヤル

高い技術力で作り上げた国産御料車
日本屈指の高い技術力を持ち、 数々の名車を生み出してきたプリンス自動車。 その究極形といえるモデルが、 国産初の御料車として採用された プリンス・ロイヤルだろう。 しかし、このモデルが宮内庁に納入されるまでには、 さまざまなドラマがあった。
ダットサン
日産
1960年代

フェアレディ1600

シルビアの心臓を積み、走りを磨いたSP311
1962年10月、フェアレディの名が 初めて国内で使われた フェアレディ1500(SP310)が登場する。 その発売から約2年半あまり、 フェアレディは1600ccユニットを搭載するなど、 大きな変更を受ける。 165km/hのトップスピードを誇ったSP311の誕生である。
ダットサン
日産
1950年代
1960年代

スポーツS211

国産スポーツカーのパイオニア
国産スポーツの第一歩となった DC-3から7年が経過した1959年。 沈黙を破り、FRPのモダンなスタイリングを纏った 「ダットサン スポーツS211」が発売となった。 フェアレディを名乗る輸出専用モデルへと 短期間のうちにスライドするが、 そのスピリットは、最新Z-CARへ、 確かに受け継がれていく。
三菱
1970年代
1980年代

ランサー・セレステ

FTOの後継を担う小型スペシャルティ
日本のすべての自動車メーカーが 排ガス対策に苦心していた1970年代半ば、 三菱自工はギャランFTOの実質的な後継となる 小型スペシャルティカーをデビューさせる。 初代ランサーのシャシーを流用したそのモデルは、 “青い空”を意味するセレステのサブネームをつけていた。