ホンダ
1980年代

クイント・インテグラ

インテグラの名を加えた2代目クイント
1980年代は本田技研工業から スポーツスピリットあふれるモデルが 数多くリリースされた時代だった。 四輪進出時の原点回帰、F1イメージの踏襲── 自動車マスコミは様々な賛辞をおくる。 そんな最中、クイントが2代目に移行した。
ホンダ
1980年代

アコード ハッチバック

初代のコンセプトを巧みに継承した2代目
1976年にHBボディを纏い登場したアコード。 先進の技術と装備を備えてのデビューとなり、 後に4ドアを加え、世界90カ国で販売される ワールドカーに成長する。 2代目では、HBとセダンが同時に発売。 新時代の国際車として、さらなる進化を遂げる。 HBモデルは、分割リアシートを採用し、 小型車の新機軸となる。
ホンダ
1980年代

バラードスポーツCR-X

FFライトウエイトスポーツの登場
1980年代初頭は本田技研にとって、 スポーツ指向が回帰する時期となった。 なかでもFFライトウエイトスポーツという 新ジャンルの市販車のデビューは、 クルマ好きに大きなインパクトを与えた。
ホンダ
1970年代
1980年代

シビック

“スーパー・シビック”の登場
CVCCの開発でいち早く排出ガス規制を 克服した本田技研は、 1979年に基幹車種のシビックの フルモデルチェンジを実施する。 1980年代に向けた新しい小型車は、 初代のコンセプトを踏襲しながら、 大幅なリファインを図っていた。
ホンダ
1970年代
1980年代

アコード・サルーン

ワールドカーに成長。快適さを徹底追求
クルマが多用途化していく時代にあって、 アコード・サルーンの開発陣は、 まず快適性を重視した。 アコード3ドアの魅力をそのままに、 パッセンジャーのすべてが 疲れを感じることのないトータルな快適性を追求。 充実の装備や高い質感も備えた。 世界市場を目指す上級サルーンが誕生した。
ホンダ
1960年代

S600クーペ

世界に名を轟かせたSのクーペ仕様
すでにモーターサイクルでは、 世界No.1メーカーとなっていたホンダが、 満を持して送り出した 4輪モデル「ホンダ・スポーツ」。 まず1963年10月に「S500」が登場し、 3カ月後に「S600」がデビュー。 そして、1964年10月のモーターショーで 実用的なクーペモデルが登場する。
日産
1970年代

チェリー

革新の合理設計。日産初のFFモデル
1960年代後半の日産自動車のエントリーカーは、 サニーがその役割を担っていた。 しかしカローラとのシェア争いで、 ボディの大型化や装備の高級化を余儀なくされる。 新たな入門車の開発が急務となった首脳陣は、 合併したプリンス自動車の開発途中のモデルに 白羽の矢を立てた――。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア

縦目4灯。プリンス自動車の遺産
業績好調の日産自動車は、 その勢いを誇示するような政策を 1966年8月に実施する。 独自の高い技術を持ち、 レースの世界でも活躍していた プリンス自動車工業の吸収合併だ。 合併後の1967年4月、 プリンスの最上級車種だったグロリアが 「日産グロリア」の名でデビューする。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

グロリア(総論)

プリンスが培った技術力を備えた秀作
新世代グロリアの開発を進めていたプリンスの開発陣。 プリンスの名に恥じない高級サルーンを目指していた。 しかし、1966年に日産との合併が現実のものに。 1959年の初代から数え3代目となった グロリア(A30型)は、日産の名を冠し登場することになる。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

プリンス・ロイヤル

高い技術力で作り上げた国産御料車
日本屈指の高い技術力を持ち、 数々の名車を生み出してきたプリンス自動車。 その究極形といえるモデルが、 国産初の御料車として採用された プリンス・ロイヤルだろう。 しかし、このモデルが宮内庁に納入されるまでには、 さまざまなドラマがあった。